「存在感」

「シルバー民主主義」とか言われているけれども、存在感の問題。

2017年衆議院議員選挙の徳島県の18・19歳の投票率は約31%と全国最低だったらしい。

 

総務省の調査によれば、年代別投票率は若いほど低い傾向にあるようだ。

平均的なイメージだと、

20代前半約30%、20代後半約35%に対して、60歳以上は70%の投票率

雇用、福祉や子育てなど広い分野にかかわる若い世代の投票率が低い。

投票しなければ存在感は薄くなり、存在感のある方が優遇される。

存在感が薄くなるだけではなく、その負担も押し付けられることになる。

一人ひとりの判断の積み重ねの結果なのだけれども、見えない負担を強いられている。

寝ていても、息はしてる。

プレゼンス

プレゼンス、存在感って重要だと思う。

 

声なき声、小さな声も声には変わりはない。

聞こえない声かもしれないけれど声は声。

大きな声に掻き消され、強い声に吹き消されても、声は声。

大きな一声も、強い一声も、聞こえない一声も、小さな一声も同じ一声。

一つひとつの声が「存在」、在ることが明らかになる。

普段は聞こえない一つひとつの声が顕在化するのが投票、投票してこそ存在感の発揮。

多様性と小さな声

多様性が重要だと思う。

 

正解が決まっていれば一枚岩で良いのだけれど、

混沌とした複雑な社会のなかで前に進むためには、

何が正解かが決まっていない。

小さい声にも正解があるかもしれない。

小さいからと軽視するような姿勢ってどうなんだろう。

 

正解を強いる体質って信頼できるのだろうか。

答えが一つと決まってないから判断が求められるし、

その判断に真摯に向き合い、進んでいくしかない。

 

良い答えではなくても納得してもらえる判断を積み上げ、小さな声にも向き合う。

多様な声を受け止める柔軟性(寛容)が政治に求められているんじゃないだろうか。

「政治」としての判断。

在任期間が長くなることについて、「行政経験を積むのは良いことだ。」と3割以上の人が考えているらしい(徳島新聞、2019.4.1)。

徳島県議会選挙も、13選挙区のうち6選挙区で無投票当選となった。

県議会選挙も現職優位。

「県議」の方々もほぼ一枚岩で「行政経験」を積むのだろうか。

 

一人ひとりの暮らしにかかわる課題に向き合い、予算も限られたなかで結果が問われなければならないんじゃないだろうか。

 

正解がないからこそ一つひとつの判断が求められ、前に進める「舵取り」が必要なんじゃないだろうか。

 

果敢に突き進むのではなく、

丁寧に1mmでも良い結果を積み上げていく覚悟が政治的判断。

打ち上げ花火。

「地元紙の記事になることだけが評価なんですよ。」と言っている方がいた。

花火のように一瞬でも次々と発信していくことだけが重要らしい。

地味にコツコツ積み上げていくようなことは、目立たないことは評価の対象外らしい。

トレンドなのかもしれないが、実態よりもキャッチフレーズ。

目に触れてこその価値らしいけど、そこには日々の「暮らし」がある。

見栄えも大切だけど、「実(ジツ)」も大切。

日々安心して不安なく暮らし続けられた上で、花火を打ち上げるなら良いけど。

花火を打ち上げることばかりに気にしても、「暮らし」の安心安全には結びつかない。

運転手の交代

あなたが乗っているバスが軽い&小さな接触事故を起こして、

運転に支障がないからと運転手が運転を続けようとしたら、あなたはどうしますか。

運転手の判断力が低下状態かも、エンジンとかに問題があるかも、大きな事故の前兆かもしれない。

「急いでいるんだから。」と「大きな声」を受けて、現状を軽視して運転し始めたら怖くないかな。

事故でもあって怪我をしたら、「痛み」は一人ひとりが引き受けなければならない。

他人の都合に自分が振り回される必要はないんじゃないだろうか。

虎の尾。

例えば、テストで1つだけカンニングをして満点を取ったら良いの。 

満点を取ったからと喜んでいても、なんとなく ×。

わからなければ良いと思っているかもしれないけれど ×。

こんなに一生懸命頑張っていたのにといっても、「ズル」したら×。

猪も一所懸命生きているけど、

人間中心社会なので、畑の作物を荒らせば猟師さんに撃たれてしまう。

こんなに懸命に生きているのにと思っていても、

少しでも一線を越えれば×。

少しだけならと言っていても、それは習性(体質・姿勢)。